ちょっと堅い?話をします。
建築っていったいなんなんやろって最近ずっと考えてます。
ってゆーのも、私の卒計は簡単にゆうとNYのセントラルパークに空間を配置するってゆうのやったんやけど、伊東豊雄さんにそれは建築じゃないて言われたからです。
伊東さんは私の卒計には社会性がなく、機能が存在していないんじゃないかって。
セントラルパークは今でも公園としての機能を果たしていて、そこに空間を挿入する行為は建築なのか?っていう批判やと思うんやけど....なんか腑に落ちません。
私の頭では解釈しきれてへんだけなんかな?
伊東さんがおっしゃってたのはビジネス的な利益重視な視点であり、建築と呼ばれるものの一角に過ぎないんじゃないかなって思ったりする。
例えば私の感覚で言うと、イサム・ノグチの庭園も荒川修作の養老天命反転地も、行ったこと無いけどアスプルンドの墓地だって建築だと呼べると思う。
人が介入した時、そこに豊かな感覚、あるいは恐怖感、奇妙さ等、空間そのものが人に何かしらの感覚を及ぼすことが出来れば、それはもう建築として成立していると思う。
ちょっと共感してもらえるかな?ってゆう例をあげると、宗教建築は祈りを捧げる場であったり、神を奉る為の場としての機能を持っているけど、その宗教建築としての機能を必要としない、他宗教(もしくは無宗教)の人が行っても、宗教建築が持つ特殊で豊かな空間に感動することもある。
これって必ずしも建築(建物)と機能がセットで存在していなくても、その存在価値があるってことやと思うん。
こんなことを考えてると、建築を人間が感じる空間っていう枠組みで捉える方がおもしろくない?って思うんやけど・・・
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